勝負と過程と僕

とりあえず生存報告

このはてダはTwitterアカウントと直結していて見ている人も殆どいないし、僕が生きているか死んでいるかの元気でやっているかなんて、リアルを謳歌する友人ら一同に置かれましては昨日のお昼ごはんぐらいにどうでもいいことであることだとは思いますが、一応報告。生きています。東京の隅っこの方で。

本題

別にこんな生存報告をするべくしてはてダを開いたわけじゃなく、こっちにきて色々なボドゲオフに参加していくうちに色々と思うことがあったので書いてみんとしてキーボードを叩きつけるものです。

コンテンツ

  1. 結論
  2. 最近参加したイベント
  3. 勝つか負けるか
  4. そこから見えた僕の現状と未来
  5. 結論

結論

日和見なだけの今までの自分にさよならしなきゃね(社会人的に考えて)

最近参加したイベントについて

7月末のゆるドミ会と8月末のぺらねこナイト4に参加してきました。どちらも楽しく家に引き篭っているより千倍万倍の価値ある時間を過ごすことができました。東京すごい。大学時代は同好の士がいたものの、なかなか時間を合わせることができず何時間も遊ぶというようなことは皆無で、あんなにゲームづくしな密度の濃い時間は久々でした。また参加したいし、周りの友人とも時間を作ってじっくり遊びたいという気持ちが生まれたきっかけになりました。
実際、会社の同期と最近我が家でカルカソンヌサンファンカタンを遊ぶ機会を作るようになり、良い影響を受けたなーと我ながら思う次第です。

勝つか負けるか

これがこの日記を書くきっかけになったのですが、各ボドゲオフを経て僕は「勝つという結果のためにプレーしていない」という自らの重大な弱点に気が付いたのです。正確に言うと、勝ち負けをよく憶えていないのです。ゲーム中にあんなことやこんなことを考えたなぁということははっきりと覚えているのですが、勝敗に関しては記憶の篩に全く引っかからないのです。おそらくここで自然に出てくる質問の一つとして
「それではあなたはなぜゲームをするの?」
ということが挙げられます。これに対する僕の回答は単純明快で
「一緒にプレーしている人のリアクションを愉しむため」
という一点に尽きます。
もちろん勝ったらその瞬間は嬉しいですし、当然負けたら悔しいなぁとも思います。が、僕にとってのゲームの楽しみはそこにはなく、人がある目的に対して思考を張り巡らせる一瞬の表情であったり、駆け引きを行う話術の巧みさであったり、ストーリーを円滑にすすめるGM役の心遣いであったり、負けが確定している人の最後の表情などなど一瞬の人間臭さを感じるためにプレーしているんだと最近思うようになりました。

そこから見えた僕の現状と未来

今現在僕はある会社のある部署に配属されており日々先輩社員から出される課題に東奔西走しているところです。課題に対して仕様を満たすものを作る過程でいろいろな考えと知識を身につけ会社に貢献できる社会人に一日でも早くなれるように努力しているところです。同期同士で切磋琢磨しております。人によっては深く考えることなく実装に入り、問題点は一瞬の判断で解決して次に進むという離れ業で課題をひょいひょいこなしている人もおり、自分の考える遅さや発想の貧困さに日に日にこれでいいものかと悩む日が続いております。
そこで上に書いたとおり、過程を充実させようと(楽しもうと)するという自らの特性が仇になり、結果にきちんと目標が置けていないんじゃないかなという自らに対する疑念が浮かんできました。
「過程大事だけど、結果が付いてこないと意味が無いよ」と上司にもお言葉をいただいており、そろそろ一念発起して結果を出せるようにもならないと、器用貧乏という大変不名誉な称号を得てしまいそうです。

結論

もともと、負けず嫌いで勝敗しか見ていなかった過去の自分が嫌で始めたボードゲームでしたが、そろそろ勝ちという結果を目指して頭を働かせる貪欲さも出せるようになりたいですね。特に全体の状況と自分の状況を把握するという点においてはボードゲームほどいい練習の場はないと思うのでそこから始めます。